愛しき日々-05
「…………で」
「何だね?」
 何で俺はこんなところに居るんでしょうか、って聞いてもいいよな。良い筈だ。
 あれから一頻り、ことの顛末を話して聞かせ、その勢いで妙な緊張も解れたのか、すっかり寛いだ会話を交わす最中。
 大橋を越えて商店街まで足を伸ばし、買い物袋を提げて辿り着いたのは、こいつのマスター───嬢ちゃんの家、な訳で。
「だから、何で俺が嬢ちゃんちに、この姿形で、厄介にならにゃーなんねぇンだよ…?」
「……頬と拳の治療をするのに、此処以外に都合のいい場所があるなら、此方が教えてほしいのだが」
 何か妙案は、何て言いたげな顔つきで、座り心地のいいソファの上で小さくなっている俺の隣に腰を下ろすアーチャーの手には、救急箱。
 ついた途端用意された紅茶の隣に、その箱を置く動作を眺めていたら、手を出せと無言で語る掌が視界に入った。
「……、つーかさ。別にほっとけば、治ると思うんだけどな……?」
「…それでも、痛むだろうに」
「いや、むしろ露骨に痛そうなのお前なんだけど、……うん、悪かった」
 視線を泳がせながら、アーチャーの掌に腫れた右手を差し出して謝罪を告げると、く、と笑う声が耳に届く。
 眉を下げがちにして笑う表情は大して困った風でもなく、むしろ気安ささえ感じるような。
 こっちが小さいせいなのか、しおらしくしているせいなのか、アーチャーの纏う空気が普段より緩い気がする。
「普段からそれぐらい大人しくしていてくれたら、此方としても有り難いのだがね」
 あ、後者でしたか。
「お前だって普段より、当たりが柔らかいだろうが」
「……中身は兎も角、子供の姿をした相手にいちいち怒っていられないだろう。それに」
 言いながら箱の蓋を開けて、消毒液を脱脂綿に含ませる手つきはやたらと丁寧で。
「……しみるぞ」
「…ッ、ぃ……!」
 言葉を遮ってわざわざ一言、覚悟を促す声がやたら優しい。予告通りしっかり沁みた消毒液に、指先が強張った。
 丁寧に手当てを進めていく手つきだとか、伏目がちにした目とか、普段なら変わらない高さにある顔を見上げて、気を紛らわせる。
 じくじくと痛みの余韻を引き摺る手の甲を、丁寧にガーゼで包んで、包帯を巻いて、処置は終了。
 ちょっと過剰包装気味じゃ有るまいかとは思ったけど、ともあれ、礼を言って手を引き戻した。
「さんきゅ。……そっちの頬、だいじょぶか」
「あぁ、歯に響いた訳でも無し、冷やしておけば問題なかろう。 ……しかし、随分と心配してくれるな」
「し」
 そりゃあ、自分が完全な勢いでさせちまった怪我なんだから、こっちが何も思わない訳がない。
 多分に八つ当たりも含まれていたわけだし、盛大に反省が必要なものなら、こっちだってそれなりの対応になる。
 それでも、揶揄交じりの調子で言われれば、立てたくもない角が立つ。
 ……その辺りを口にする前に解りやすく表情で訴えていたせいか、絶句した俺を見て、アーチャーの表情がまた柔らかくなった。
「…いや、怒らせる意図はなかったのだが」
「って、別に怒ってる訳じゃ……」
「怒っているだろう。眦が吊り上がっていたぞ、ランサー」
 言いながら、口の端を軽く消毒して処置を済ませたアーチャーが、ぱた、と救急箱の蓋を閉じた。
 無造作に伸びてくる手が、くしゃ、とこっちの髪を撫でる。
 こいつが、こんな風に触ってくるなんて珍しい。触れる掌の温かさに気が抜けて、ついでに奴曰く、吊りあがっていた眦も緩む気がした。
 髪を乱すでなく触れて撫でる指の動きに、余計な力が抜けていく。
「……そういや」
「うん?」
「…さっき、何か言いかけてたろ」
 続きは?とほんの少し首を傾いで、言葉をねだる。
 髪を撫でる手は相変わらず穏やかなまま。アーチャーが少しだけ目を丸くすると、参ったな、と呟く声の後、一度口ごもる。
 間を置いてから、頭から頬に掌が移って、そっと、壊れ物にでも触れるような柔らかさで肌を撫でていく。
「君がそんな風に素直だと、つい甘やかしたくなってしまう」
 困ったものだ、と呟く声が笑っている。
 そのお前の声に盛大に困ってるんだよ俺は、この莫迦。そう言いたいのに声が出せなかった。
 だからそこで顔を寄せてくんな目尻を撫でるな。挙句顔を覗き込んで、うん?とか笑うんじゃねえ。
「……嫌だったかな、ランサー」
 言えるかー!!



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