愛しき日々-04
「……………その」
「何だよ」
 たっぷり五分は有ろうかという間、一言も発する事無く顔色も表情も変えていたアーチャーが、ようやく口を開く。
 検分する視線がずっとこっちに向かっていて、挙句盛大な戸惑いを含んでいるものだから、いっそ笑っちまえばこの微妙な空気も打ち破れそうなもんなんだが。
 打ち破ったら打ち破ったで、こいつのぎりぎりの部分で保っている何かまで突き崩しそうな気がするので、俺もひとまず、無言を貫いていた。
「本当に…、……ランサー、なのか」
 言いあぐねた果ての確認の問い掛けに、相槌の後は無言で頷く。
 気が抜けたついでに眉間の皺まで解けている、屈んでるくせに上にある、左頬を腫らした顔。
 ついでに、頭を小突いた手まで、頭の上に掌を乗せる形でいつの間にか置かれていた。
 その手が遠慮がちに、やんわりと髪を撫でる。
「だから、言ったろ。……って、おい。聞いてんのか?」
「勿論だとも。………流石に、驚きはしたがね」
 言葉の終わり、細い溜息をついたアーチャーの手が頭の上から退く。
 ようやく表情は落ち着きを取り戻したようだが、此方を見つめる視線はまだ、外れない。
 なんだよ、ともう一度問いかけたところで不意に、奴が腰を上げた。
 視線を合わせようと顔を上に上げたが、殆んど真上を見る勢いだ。
 でかすぎる。なに喰って育ったんだよお前。
「おい、アーチャ……」
「ん?」
 名前を呼ぶか呼び終わらないかの内に、背を屈めて、右の手を取られた。
 腫れた拳に障らないように、大きな掌が包み込んでくる。
 呆然とした俺を他所にその手を取って背を伸ばした奴が、促すように軽く手を引いて、岸壁に背を向けた。
「……ッ…、何処、行くンだよ…」
「…ともあれ、何時までもここにいても仕方あるまい。じき日も暮れる。…身体も、冷えてしまうだろう?」
 何処へと、明確な声を返さない奴の顔が、こっちを振り返って笑う。
 笑った直後に、口の端に手をやって痛そうな顔をするもんだから、流石に居た堪れない。
 握られているばっかりの手で奴の指を握り返し、軽く揺らして注意を惹く。
「………?」
「……その…、悪かったな。…勢いとは言え、殴っちまって」
「…いいや。どういうつもりかは、とっくりと聞かせてもらいたいところではあるが、ね。
 一先ず君の素直な謝罪は、それとは別に受け取っておくとしよう」
 語尾が笑ってるぞテメェ、とは思ったが、瑣末なところで怒っても仕方なし。
 得られた許しにこっそりと安堵の息をついて、促されるまま歩くことにした。



 さっきは一人で渡った大橋を、手を引かれて一緒に渡る。
 行き先を告げないまま、俺の歩調に合わせてコンパスを縮めて歩くアーチャーの気遣いが少し、もどかしい。
 陽が傾ぎ始め、陽光に淡い色が乗り出す。その眩しさに自然と目が細くなった。
 ふと視線を感じて顔を上げると、こっちを見下ろす灰色にぶつかる。
 その目がやっぱりいつになく柔らかく撓んでいる気がして、多分、困ったような顔になってしまった気がする。
 目が合うと白い眉が下がっていたから、恐らくは。
「どーしたんだ?」
「………ぁあ、いや……、…」
 ……歯切れが悪い。
 普段であればこの程度の沈黙、何てことは無い筈だ。並んで歩く時にしても、年中口を開いている訳でなし。
 なのに何故か、今日はやけに沈黙が重たい。
 恐らくは、こいつも同じように感じているのだろう。
 それきり押し黙った奴が再度口を開いたのは、大橋を半分以上渡り終えた頃だった。
「…その、どうしてそんな姿に、と言うのは……今更、聞くべき事では無いのかな」
 これまた唐突ですねアーチャーさん。
 いきなり飛んできた質問に眉を寄せて、遥か頭上の男の表情を見る。
 そこ、なんで困ったような顔して視線を逸らすんだ。
「…ぁー…。まあ、そんじゃその辺は、道中話してやるよ」
「そうか。……と言うか、何故そこで笑うのかな、君は」
 話題探しに困窮した挙句の、苦し紛れの言葉でした。如実に語るその仕草につい笑ってしまう。
 どこかの初心な坊主の表情が垣間見えた気がして、繋いでいた手を少しだけ、強く握り返した。



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