愛しき日々-03
 本当にこう、何の拷問だというか、新手の嫌がらせだ。そうとしか思えない状況だった。
 ぐるぐると思考をループさせて口を開く余裕もなく、嫌な汗を滲ませて順調に平静を失っていく俺
を、心配そうに覗き込んでくるアーチャーが憎らしい。
 本当に気付いてねえのか、こいつ。

 全く?
 ……アレだけ顔をあわせておいて?

 ふと過ぎった思考に虚を突かれて、怒りが一瞬萎む。
 自覚した時にはそれ以上に酷い顔をしていただろうことは、アーチャーの表情の変遷からも窺う事が出来た。
 心配そうにしていた顔が少し、慌てている。
 いつもの、世の中を皮肉り倒したような笑みだとか、ふてぶてしさが欠片も無い。
 知っているはずなのに、まるで知らない男を目の前にしている気分になって、それが酷く引っかかる。
「……、…弱ったな…」
 それはこっちの台詞だった。
 今すぐ怒鳴りつけて、宝具でも引っ張り出さなきゃ判れねえレベルの鈍さだ、コレは。
 怒鳴る気力も残ってねえが、引っ張り出せば一応は納得するし、色々手っ取り早いんだろうか。
 ずっとだんまりを通していた状況を打破しようと、ようやく口を開く。
「つか、……ほんとに素なのかよ、ソレ」
「……? 何を言っているんだ、君は。第一年長者にはもう少し、きちんとした言葉遣いを───」
「……俺が誰かも判ンねぇぐらい日和ッたんなら、思い出させてやるよ!」
 怒声に目を瞠ってから、怪訝そうな顔をしたアーチャーを見据え、半歩下がって腰を落とす。
 殺気をぶつけて睨めつけながら、右の手を伸ばし、指を緩やかに握り込んだ。
 そこに魔力を収束させて───、させて、………。

 ………え?

 手応えがまるで、無い。
 あるはずのものが全く感じられなくて、ぶつけた殺気も削げて落ちる。
 構えを解いて再度、直立。すぐに伸ばしていた右手を引き戻して、そこに視線をやって緩く開いて、握った。
 在る事が当然だった、簡単に具象化できたはずの赤い魔槍も、纏えた筈の魔力も。気配の欠片も碌に無いことに、今に至ってようやく気がつく。
 その残滓らしきもの、あるいはその芽吹きの前の気配だけが色濃く、今の俺を取り巻いている。

 本当に『若返り』の薬だったのだ、アレは。

 勢い良く怒鳴りつけて挙句、喧嘩を売るような真似事をした子供がいきなり茫然自失になったら、大概の大人は驚き呆れるか、或いは頭の可哀想な奴なのだろうと思って、立ち去るものだと思う。
 流石にアーチャーも、眉を下げて呆れたような表情の後、肩を落とす仕草まで添えて、深い溜息をついた。
「…何の真似だね、ソレは」
「……、だから、…俺のこと、思い出させようと…、……」
「…、残念だか、君のような知り合いは……、」
「ッ!」
 居ない、と言われるだろう言葉の続きを遮りたくなって、気がつくと目の前にある顔を殴っていた。
 拳で。しかも手加減無しで。
 まさか飛んで来ることさえ予測できない衝撃に、ガードも何もなくまともに受けるアーチャー。
 けれど首を折るまで行かず、顔を横に向かせた程度で済んだ辺り、流石に俺も非力になってるんだな、と思わんでもない。
 右フックを受けて腫れる頬を押さえながら、憮然とした顔がまたこっちを見る。
 手加減無しで殴った分、こっちの手も結構な痛みを訴えていた。
 拳が腫れて、冷えた海風がやけに沁みる。
 そこを庇おうと手を重ねて、アーチャーの視線から逃げるように俯いていたら、コツ、と軽い衝撃が頭に落ちた。
「……どういう理由があるかは知らんが、ね。…いきなり人の横面を張るのは、どうかと思うぞ」
「…、……すまん……」
 はぁ、と大仰な溜息の後、痛そうに顔を顰めて小さく呻く声。
 流石に殴ったのはやりすぎだ。我ながらデカイ失態だと、素直に頷いて、謝罪を向けた。
 気付かねぇんなら、しかも気付かせる手段も無ぇならもう、正直に言うしかねえ。
 深呼吸を一回してから、腹を括る。
 まだ何処か引っかかっているような顔をしたアーチャーにちゃんと視線を合わせ、あのな、と一声挟んで。
「俺だ、俺。ランサー。……ちいせえし宝具も出せねえけど。気付けよな、アーチャー」
 自棄気味の声での宣言の後、目の前のアーチャーの顔色が赤くなったり、青くなったり、した。



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