愛しき日々-02
 大橋の欄干に寄り掛かって、眼下に広がる公園を眺めながら、思わず溜息をついた。
 何というか本当に、恐ろしいほどの視界の低さに目眩がする。
 公園を眺めているにしても、いつもは気にも留めず、肘置きにしている高さの赤い欄干が視界に入って邪魔だ、非常に。
 ついでに言うと、すれ違う人間の頭が軒並み、自分の遥か頭上にあるのもどうにも、馴染めなかった。

 話はかれこれ一時間ほど前に遡る。
 英雄王の(おそらくは故意的な)うっかりにやられて、若返りの薬を口にしたのがそもそもの発端。
 不本意ながら服を貸してもらうよう願い出た俺に、待ってましたとばかりに頷くギルガメッシュ。
 臍が出る類のシャツは断固拒否したが、じゃあこれは、あれはと後から出される服の数に圧倒され倒し。
 ついでに予備のものと一緒に、それまで着ていた服もしっかり、紙袋に詰められて渡される。
 ある種至れり尽くせりな状況に、なんの嫌がらせなのかと居た堪れなくなっていた俺は、もう何というか、『遣り遂げた男の顔』全開なギルガメッシュから半ば以上、逃げ出す勢いで教会を後にしたのだった。

「ちなみに体質なんかにもよるんでしょうが、薬効は四日間ぐらいですからー」

 非常に引っかかりのある解説がまだ、頭の中でぐるぐると木霊する。
 痛くもない筈の頭が痛む気がして、また盛大に溜息。
 俯くと新品のネイビーのスニーカーの爪先が目に入って、その近さにまた、したくもない実感を迫られる。

 ……何というか、本当に小さい。
 こんなに小さかったのかと、我が事ながら……いや、我が事だからこそ思うのだろうが、奴の部屋の鏡で見た限りの印象だとおそらく、武者立ちの儀の前辺りの頃の姿だろう。
 年齢で行けば十歳だか十二歳だとか、それぐらいか。
 元々、他の少年組の連中に比べても頭一つ小さかったが、ここまでだったとは。
 それに劣等感を抱くことはなかったが、揶揄の種やら、それを愛でるような物言いをされていたことまで思い出して、何やら複雑な気分になる。
 過去に気持ちが向くのは、随分と久し振りだ。
 かつて持っていた視線の高さで、英霊として降りたこの世界を見ることになるとは思わなかった。
 妙なところで郷愁めいたものを刺激されている気がして、なにやらくすぐったいような、もどかしいような。
「……ま、たまには悪くねぇか、こんなのもよ」
 いつまでも腐っていても、どうせ薬が切れるまではこのままなのは変わらない。
 霊体になってやり過ごすことも選べたが、どうせなら、いっそのこと面白がっておいた方が良いだろう。
 さっさと出た結論に、よし、と頷いて袋を担ぎ直し、歩き出す。
 …とは言えアテもろくに無いが。
 まだ日が高い。釣竿は塒に置いてきたままだったが、いつもの癖か、足は港に向かっていた。



 岸壁には、アーチャーが居た。
 釣り道具を持っている訳でもなく、ただ佇んで少しばかり、遠くを見詰めている。
 腑抜けたようにも見える横顔を眺めながら足を進めていたら、奴が唐突にこっちを向いた。
 唐突が過ぎて思わず、足が止まって身が竦む。そんなに驚くようなことでもねえのに。
 この姿を見た途端降って来るだろう、揶揄だか嫌味だかの声を覚悟して、俺は精一杯、奴を睨み据えた。
「……っ…、……」
「……? どうかしたのかな。…もしや、迷子かね」
 反応は意外を越えて、予想の外のものだった。
 揶揄の声どころか、こっちの視線を受けて尚、僅かに首を傾げて、灰色の目を緩く撓ませて笑う。
 普段の姿で対峙しようものなら、万に一つも有り得ない、穏やかな声と笑顔。
 こっちの驚きやら、出しそびれた挨拶やらにまるで気付かない。
 いや、それどころか俺だということその物に気付いていないのか、こいつは。もしや。

 俺の無言の反応を、向こうは向こうで勝手に解釈したらしい。
 笑顔を困らせてから、向こうから距離を詰めるその歩み寄り方も、警戒心を起こさせないようなそれだ。
 目の前まで来て足を止めて、見上げる格好でいた俺に、目線の高さをあわせようとしゃがみこむ。
 まるきり子供扱いだった。いや、事実、姿は紛れも無く子供なんだが。
「や…、……あの…」
「ご両親とはぐれてしまったのかな。それとも、一人で此処まで?」
 只管ににこやかな、『迷子を目の前にした優しいお兄さん』状態のアーチャーの反応に、嫌な汗が滲む。
 と言うかだな、気付け。気付いてくれ、頼む。
 気配だとかイメージだとかまあ風貌はこの通りだが、蒼い髪に赤い目だとか、早々居ねえだろう!



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