Cradle hollow-05
 散々釣り上げた鯖を、シメる、焼く、煮る、と様々な調理方法で仕上げて食卓に並べ、余りは保存がきくようにと言う段階まで、狭い、物の少ないキッチンで立ち回った男を見るにつけ、こいつは本当に、実はクラスを間違えて現界して来たんじゃなかろうか、とさえ思う。
 いや、ある意味宝具だと言われれば、いっそ納得する勢いだ。
 なんだろう、Unlimited Kitchen Worksとかになるのか。……無限の炊事? いや、どうでもいいけど。
「ご馳走さん」
「……いや」
 何にしても腹は膨れた。ゆっくりと巡り始める『いのち』の感触に、ようやく安堵の息をつく。
 ご丁寧に食後の茶まで出してくる辺り本当に、すげぇ。俺の家、緑茶なんか無かった筈なんだが。
 小狭いローテーブルを囲んで、無言で茶を啜る音だけが響く。
 容器がマグと湯飲みというばらつき具合はまあ、仕方ねえとしても。所謂くつろぎの一時という奴だ。
 ついでにしましまの姉ちゃんからもらった蜜柑を引っ張り出して、奴と俺の前に一つずつ置く。
 茶を啜る音に加えて、柔らかい皮を手で剥く音も加わった。
 団欒風景を演出するには花も色気も足りないが、まあそれはそれだ。
「……ランサー」
「ぁ?」
「………いや……、その」
「何だよ。メシなら美味かったぜ」
 一瞬眉間の皺を解いて、酷く気の抜けた顔をしたアーチャーが、そうじゃない、と言う顔つきで首を横に振る。
 さっきよりも増した眉間の皺。そのくせ、言葉を選ぶように逡巡の間を挟む具合が、少し普段の顰め面と違うようにさえ、思う。
 蜜柑の房を一つ咥えて、薄皮を齧って口に運ぶ。存外強い甘さに、知らず顔が綻んだ。
 一方で蜜柑を剥き終えた奴の手は止まったまま。こっちを見もしないでただ、自分の手元を注視している。
 言葉を探している様子を時折うろつかせる灰の双眸から見て取って、それ以上、俺から言葉を重ねるのはやめた。
 黙々と蜜柑を食べ進め、それが終わればいい感じに冷めて来た茶を啜る。
 湯呑みを置いたところで、何度目かの、意を決したような短く息を吸う音が聞こえて、奴に視線を移した。
「……君は、あの夜を越えるたび、あんな目に遭っているのか」
 絞り出すように告げられた言葉に、今度はこっちの息が止まる。
 そう言や、前にこいつには、あれを見られているのだったか。
 当の本人なんかより、ずっと痛ましい表情をしていた、朧気な視界の向こうの顔を思い出す。
 知らずに眉根を寄せていたようで、此方を見るアイツの顔つきが、怒ってるんだか困っているんだか、よく判らない色になった。
「……だったら、何だよ」
 正直、動揺が隠せたかどうかは自信が無い。多少声の始めが揺らいだかも知れない。
 それでも俺は、出来るだけ詰まらなそうな顔つきで、斜向かい、真っ直ぐ過ぎるほど真っ直ぐに視線を注ぐ男の顔を、横目で見るようにする。
 そんな俺の姿を真正面から捉えようと向けられる鷹の目は、真摯に鋭い。
 お前には関係ない。言葉ではなく態度でそう主張して、八つ当たりに口を開いた。
「つまらねぇ同情してるつもりだったら、お門違いだぜ、アーチャー」
「……ッ、違…、…」
 アーチャーが息を呑んで、声のトーンを乱す。
 少し意外な反応にまた驚く。横目で捉えた仏頂面は崩れていて、表情から幼さが覗いている。
 だから、何でお前がそんな顔をするんだ。
「じゃ、どう違うんだよ。死ぬ訳でもなく、勝手に痛がってのた打ち回ってる相手なんざ、放っておいて構わねぇ筈だろう」
 ───どうせ巻き戻れば、元通りなのだから。
 八つ当たりよろしく適当に神経を逆撫でして、怒鳴り声を引き出そうとして追及を断る。
 頬杖をついて応酬を待ったが、何時まで経っても声は返ってこない。
 溜息を挟んで視線を戻した先、見つけた表情は子供じみた、沈痛な面持ち。それを出来るだけ見ないようにしながら、茶を啜る。
 違う、と声を震わせる主から視線を切って、逃げる。湯呑みを置く音がやけに空々しく響いた。
「……ランサー、お前こそ詰まらん誤解をするな。同情など、誰がするものか」
 震えが収まり、奴の口調が戻る。けれどいつもよりも少しだけ熱のこもった声に、逃がしていた視線が知らず引き寄せられる。
 勘違いするな、と念を押すようにもう一度告げてから、緩やかに頭を振るアーチャーは、もういつもの仏頂面に戻っていた。
 それでも、冷めた色の双眸だけは、声と同じく熱を通わせているように見えて、俺は言葉の続きを待った。



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