侵蝕-04
 じゃり、と。重なる鎖が身を打ち合って鳴く。
 礼拝堂の中を満たすのは、鉄錆の臭いと、若い男の息遣い。
 そして、時折混ざる呻き声。
 何もかも、神の家と呼ばれる其処に相応しくないもので。
 ステンドグラス越し、射し込むはずの月光も、その狂態に恐れを成してしまったかのように弱々しい。
 そうして育った闇は澱の様に重なり、室内の壁に、床に、磨りこまれていく。

「その辺りにしておけ、ギルガメッシュ。──いささか、大人気無いぞ」
 少しの間を置いて、再びランサーへと鎖を打ち下ろそうと。
 片手を振り上げた英雄王の動きを止めたのは、他ならぬ言峰の言葉であった。
「──…、ッ」
 振り上げた腕は、やり場の無い憤りを抱えたままゆっくりと下ろされる。
 ギルガメッシュは眉根を寄せて小さく舌を打つと、射殺さんばかりの視線と殺気を、散々に打ち据えた槍兵へと注いだ。
 対する槍兵は、散々に振り下ろされた鎖によって、破かれた己の装具をぼろのように纏わせたまま、ぐったりと項垂れている。
 肩が緩やかに上下する度、其処を穿つ刃の縁を緋色の線が辿り、その都度、くぐもった声が微かに漏れた。
「…さて。少々やりすぎた感はあるが。そろそろ──」
 神父の声と足音が、ゆっくりと槍兵を目指す。
 ギルガメッシュの放つ殺気が徐々に薄れ、遠くなるのを肌で感じながら、ランサーはのろのろと頭を起こした。
 間近、視界を塞ぐように立つのは己の主。その見下ろす視線を受けた緋の眼を、細くして槍兵は問う。
「…今度、は…。何を、する…つもりだ…?」
 疲弊し、かすれた声がたどたどしくランサーの喉から漏れる。
 声音の弱さよりも、問われた言葉そのものに僅かな驚きでも感じたか、言峰は眉を聳やかして口角を引き上げた。
「察しが良いな。てっきり解放をせがんで、私に罵声の一つでも叩きつけるかと思っていたが」
「言った所で、貴様のことだ。…どうせ、ろくなことをすまい?」
 嫌悪感を隠す必要など感じない。そのまま吐き捨てると、それすらも愉しんでいるかのように、神父は笑う。
「それだけ言える余力があるとは。流石はランサーのクラス、と言ったところか」
 言葉を向けながら、神父が長剣の柄に手を掛ける。
それを視界の端で捉えた槍兵は、傷口を拡げられた痛みを思い起こし、身を硬くした。
 緋の眼の端にちらと──ランサー本人さえも自覚できぬほどの、本能に即した脅えが映るのを、言峰が見逃すはずもない。
 身を屈めて顔を寄せると、空いた手でランサーの顎を掴み、表情を舐る。
「…厄介なものだな、サーヴァントという存在も」
 静かな語り口と向けられた視線は、先程よりも深い黒曜。薄れた月光が照らす貌は、ただ笑顔。
「な、に──」
「そうだろう? …強大な力を持ちながら仮初の肉体に詰め込まれ、痛覚や感情も切り離せずに、現界するというのだから」
 慈悲さえ滲む口上。声音もまた深く、穏やかなものだ。 が、含まれた闇は、深い水の底を思わせるように重い。
「いっそ純粋な力として、ヒトの身に宿ることが出来れば」
 絡めてあっただけの指が、しっかりと柄を握る。やや遅れて、白刃がずるりと、肉を削ぎながら引き抜かれてゆく。
「──ッ、ぅ……!っは…」
 打たれ続けて、鈍く熱を持つ身体から、熱をそのまま映し込んだような赤色の血液が流れ出す。
 身の内側から拡がる痛みが視界を歪ませ、身体を構成する魔力の喪失感が濃く競り上がる。
 ──こんな事で、これ以上鳴いてなどやるものか。
 それでも。
 喉まで出かかった悲鳴を無理矢理飲み込んで、槍兵は唇を噛み締める。
 矜持にかけてもこれ以上は、と。
「そら、こうして痛みに脅え、苦しむことも──無いだろうにな?」
 刃をすっかり引き抜き終えた神父は、変わらぬ穏やかな声で、表情でそう告げ、赤く染まった長剣を床へと捨てた。
 乾いた音を一度だけ響かせると、魔力で編まれた刃は床を紅く汚し、消失する。
「…、撤回・しろ…ッ。…誰が、ッ脅えている、だと…!」
 じくじくと拡がる痛みを振り払うように、槍兵は途切れがちな声を無理矢理に鋭くして叫ぶ。
 だがその声にも、先程まで込められていた気勢は無い。
 恐らく、槍兵自身は気付くまい。
 矜持を損なわれた怒り故ではなく、眼前の聖職者の放つ言葉が突き付ける、
 染みのような恐怖から逃がれる為に、己の声を刃としていることを。
 肩口を貫いた剣先よりも鋭く、心の内を容易く抉るその問い掛けへ、首を縦に振るまいと叫んでいるのだと。
 だが、彼が如何に足掻こうとも。
綻びに影を落とした怖れは、怒りを鈍らせ、剥き出した牙を真綿で包み、確実に根を張りめぐらせてゆく。
「他でもない御前が、だ。ランサー」
 神父の通告は、ぞわり、と。怖気となって、槍兵の背を撫で上げる。
 片手で命を奪えるほどの、この脆弱な存在が──何故こうも、己を脅かすのだ。
「…あぁ、あまり時間を空けすぎても、不味いな」
 ふと零された、意図の掴めぬ言峰の言葉に、ランサーは眉を寄せ、神父に視線を向ける。
 視線を受けた神父は、槍兵の顎を掴んでいた指を解くと、そのまま露になった首筋を辿りつつ、口を開く。
「そろそろ──きちんと、『開いて』やろう」



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