侵蝕-03 |
「ずいぶんと愉しそうだな、言峰」 唐突に若い男の声が、奥の闇から響く。 その声に言峰が視線を向けるのと同時に、床を叩く靴音が此方に近づいてくる。 否、唐突では無かった筈だった。ランサーを拘束せしめるこの鎖の出所は、目の前の男ではないのだから。 痛みを堪え、言峰の視線を追うように顔を上げる。 視界に飛び込んできたのは、闇を泥のように纏った青年の姿。 「…な、…きさ、ま──」 青年が纏う魔力の異質さに驚愕し、ランサーは知らず目を見開く。 それを一瞥した青年の右手が挙がると、床を這う金属音とともに、戒めが強まった。 「ぎ…ッ!」 「卑しい悲鳴よな。…豚のようだ」 揶揄と嘲笑。降り注ぐ視線は侮蔑。そして、肌を焼くような魔力の奔流。 彼が発するそれは、人間のものによく似た──けれど、ある種の美さえも感じるほどに、気高く、醜悪なもの。 少なくとも人ではない。恐らくは、己と同一の存在であろうとも、ランサーは感じ取った。 だが。 何処か噛み合わぬ様な、奇妙な感触。 「そう言うな、ギルガメッシュ」 神父が口を開き、青年の名を呼んだ。そのまま顎を掴まれ、無理矢理に顔を上げさせられる。 視線はとうに上がっているというのに。 まるで見せしめ。掻き出された傷の上を更に弄繰り回すような、その所作に、ランサーは貌を歪める。 屈辱的なこの状況で、理性がちぎれとばずにすんでいるのは、何よりも理解を越えたところにあるこの現状故に他ならない。 ギルガメッシュ──その名は、古の暴君、英雄王のものではなかったか。 ならはアレは英霊のはずだというのに、何故異様なまでにその魔力は生々しいのか。 そして何故あれ程までに禍々しいのか。 「ギルガ、メッシュ…だと……?」 その名をなぞるように口にする。見下ろしてくる青年の目は、己よりも鮮やかな紅。 ランサーの声が届いた瞬間、その緋色が不快気に細くなった。 首に巻きついた鎖が皮膚に食い込み、軋む。呼気を阻まれ喉がひぅ、と鳴った。 「…!…、か、は……ッ」 喉を絞められ、緊張した身体をさいなむ痛みがまた、強まる。 魔力で編んだ装具が、穿たれた皮膚から溢れる血液を含んで、僅かに熱く、重みを増した。 「我の名を呼ぶことを、許した覚えは無いぞ?」 整った顔立ちが歪な笑みを象る。 その笑顔一つで、この英雄王が、己が主人と同じ類の狂気を身の内に宿していることを、槍兵は確信した。 ──狂気の、沙汰だ。この神僕も。この英霊も。 「…ランサーの能力は、我々にとって必要なものだ。それに」 神父の声で、槍兵は青年に向けていた意識をそちらに戻す。 それに気付いたか、言峰はランサーへ視線を向けると、慈しむように目を細め 「──これは、今日から我々の飼い狗なのだからね」 髪さえ撫でて、そう告げた。 狗と呼ばれた瞬間、その屈辱に血液が滾る。傷の痛みさえも消し去るような強い怒りが全身を駆ける。 それでも四肢は鎖に繋がれ、目前の主と、ギルガメッシュと呼ばれた青年へ抗うことも適わない。 やり場の無い、視界が赤く染まるような憤りに身体は震え、歯はカチカチと鳴った。 「ふん」 言峰の言葉に片眉をそびやかした英雄王は、狗と呼ばれた槍の騎士を見下ろす。 怒りを全身で表し、刃のような殺気をぶつけてくる男の視線を真っ向から受けて尚、怯むことなく、ギルガメッシュは神父に一度視線を投げて、示し合わせるように頷き、口角を歪めた。 「飼い狗か。ならば──きっちりと、判らせてやらねばなるまいな」 言峰もまた、声なく頷いて笑う。 歪な笑みを浮かべた青年は、先ほどの神父の行動をなぞるようにランサーに顔を寄せる。 鎖を掴み、顔を上向かせると、嘲りを乗せた視線を注ぎ込み、喉奥を鳴らした。 「クク…。『光の御子』を、よもや飼う事になるとはな。此度の戦争はなかなか面白い…。 10年の間、こちらで待った甲斐があったというものだ」 槍兵は口を開かない。 焚き付けられ続けた怒りに言葉さえも失くしたか、英雄王の口上を、視線を、ただ真っ直ぐ睨み据えるのみ。 「せいぜい尽くす事だ、クランの猛犬。貴様の働きによっては、褒美を取らせてやらんでも」 「抜かせ。──穢れが」 澱のように煮凝った怒りは、声を思いの他低くさせるのか、と今更ながらに思う。 呪詛のような呟きの直後、ランサーは目の前の青年の頬へと唾を吐きかけた。 水音に頬を叩かれ、英雄王の言葉が止まる。 「────」 目を見開き、頬を滑るぬるい液体の感触に、何が起こったのか理解しかねるという様な、表情。 「貴様、…よく・もッ」 ギルガメッシュの認識が定まった瞬間、爆ぜた殺意が槍兵の肌を叩いた。 それだけをようやく絞り出した、震えた声。表情を失くした整った貌が、今度は怒りによって歪む。 「王である我にッ、唾棄、するなど…ッ!」 手にした鎖でランサーの横面を張る。二度、三度。重い殴打の音が、神の家に響く。 膝立ちで壁に縫いとめられ、長剣で肩を貫かれた青年。 それを怒りのままに、肩で息をしながら鎖で打ち据える青年。 槍兵から悲鳴は漏れず、ただ嬲る音と、英雄王の息遣いだけが積み上がっていく。 両者を視界に収めた言峰は、変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。 昏い眼の奥、歪な悦びを宿して。 ■ Back ■ Return ■ Next ■ |