侵蝕-02
「お前の気が変わる前に、済ませることとしよう」
 微笑を浮かべたまま呟くと、言峰は掴んでいたランサーの髪を解放し、数歩下がる。
訝しげな視線を向ける槍兵へ深めた笑みを返すと、持っていた彼女の腕を軽く掲げ、
「きちんと見ていろ、ランサー」
 そう言い含め、彼の目の前で、
「…!」
 まるで手品でも見せるように気安い口調でもって、彼女の腕を『切開』した。
 まだ失われていなかった血液が、はがされた皮膚が、こそげられた肉が、それらが床に落ちる、濡れた音が耳の奥に積もっていく。
 魔力を行使し力だけを取り出すような手法では無く、元在った腕を生身で持って切開し、原形さえ残さぬように引き裂いてゆく。
 まるで何かを誇示するような乱暴な術式は、陵辱そのものだとさえ思わせるものだった。
 剥き出しにされた神経に根を下ろした令呪を、魔力を含ませた指で引き剥がし、先ほどまで己の髪を掴んでいた左手へと埋め込む一連の行程を、ランサーは瞬きすら忘れたように見つめ続ける。
 目を逸らすことは、許されなかった。それは彼をこの世界に召喚した、彼女の。主としての末路だったのだから。
 既に原形を留めない肉塊を床に放り投げ、馴染ませるように数度、神父は己の手を握って感触を確かめる。
 仕上がりに満足したように笑みを浮かべると、一つだけ輝きを失った令呪をランサーへ向けて見せた。
「コレで多少は、魔力の供給回路も太くなろう。馴染むまでは不安定だろうがね」
 生命と誇り、証を、神職に有るまじき手段で簒奪したとは思えぬほどに、静かで穏やかな声。
 ──許されるのであれば、こいつの喉笛を喰い破ってしまいたい──。
 緋の瞳に溢れんばかりの憎悪を宿らせて、ランサーは己のマスターとなった男を睨み付けた。
「…もう、いいだろうがよ。いい加減、離せ」
 未だに繋がれたままのランサーが、吐き捨てるように告げると、じゃら、と腕に絡んだ鎖が鳴る。
 その様子を眺めたままの言峰は、ランサーの予想に反して首を横に振って告げた。
「そうはいかん。…主従関係は始めが肝心だ。特に、お前のような猛犬相手には」
「──ッは、臆病者め。令呪を奪うだけ奪って、抑えられんほど矮小な魔術師だと言うわけか、貴様は」
「臆病なのではない、慎重なだけだ…。お前のような者相手には、過ぎるぐらいが丁度良かろう」
 槍兵の挑発を受け流し、言峰は僅かに肩を竦めながら答えると、懐に手をやって再び笑みを作る。
「下手な挑発をすることで、自分の立場がどうなるかと云う自覚も無いのだから。──本当に、躾甲斐がある」
 ク、と神父の喉が鳴ると、魔力の供給が急速に絞られた。
「…、ぅ…!」
 先ほどとは比べ物にならぬほど、供給ラインが希薄になっていく。
 途端に目眩と、身体の末端から血の気が引くような不快感がランサーを襲い、それを振り払おうと、頭を振った。
「主の交代直後に繋げられた、馴染みの薄い供給回路をこうも絞られては」
「てめ、ぇ…」
「お前が現界出来るだけの魔力など、瞬く間に枯渇するだろうなぁ、ランサーよ」
 怒気を含ませたはずの声も力無く、呼気が思うように摂取できない気さえして、ランサーは息を荒げる。
 不本意極まりない事に、言峰の告げた事は図星であった。霊体となって消費量を抑えられればまだましだというのに、この得体の知れない鎖に縫い付けられて、それもままならない。
 今の己に出来ることは、この男の機嫌を損ねないことだけだと、嫌が応にも思い知らされてしまう。
 その事実を、退路を断ちながら目の前に叩きつける、この神父の手管は、酷くランサーの誇りを傷つけていく。
「減らず口は叩かぬことだ。お前の『願い』を叶える機会を、逸したく無いのならばね」
「……、了解・だ」
 歯噛みと共に了承の意を告げると、流れ込む魔力が少しだけ強まった。
 それに安堵の息をつくと、魔力を編む気配を感じて視線を向ける。
 目の前の神父が、いつの間にか手に握っていた長剣。それを緋色の目が映した瞬間──その切っ先が、彼の肩口に吸い込まれた。
「ぐ、っぁアッ…!」
 腕の付け根を、焼けるような痛みが襲う。
 魔力の流れが不安定な己の身に浴びせられた強烈な一突きに、視界が一瞬、赤く染まった。
 抑えようとする意識が働く前に、吐き気を伴う悲鳴が口をついて出る。
「か、はッ…。何、しやが…る…ッ…」
 彼の身体に深く刺さった長剣──黒鍵の柄を握ったまま、返り血を頬に浴びた神父の表情は、やはり笑顔。
「何、とは?」
 返り血と握った得物さえなければ、穏やかにさえ映るその表情で苦痛に喘ぐランサーを見下ろしながら、言峰は尋ね返した。
「どこの世界、に…、己のサーヴァント・を、傷ものにする、マスターが…っ、いる、と…」
 声を出すたびに競りあがる吐き気を、息を詰めることで抑え込んで、ランサーは言葉を投げる。
 その言葉に片方の眉を僅かにそびやかすと、言峰は目を細めて口を開いた。
「自分のマスターに殺意を募らせるサーヴァント、というのも中々居らんだろうに」
 揶揄するように返す言葉の最後、神父はくつくつと喉奥を鳴らし、事も無げに剣を軽く上下に揺すった。
「っ、が・ぁ…あ…!!」
 ぎちりと、引き締まった筋肉が、突き刺された刃によって無理やりにひしゃげられる。
 ほんの僅か動いただけにも拘らず、神経を直接削るような剣がもたらす刺激に、再びランサーは悲鳴を上げた。
 冷たい汗と、痛覚の伝達回路が飽和することで溢れた涙が頬を伝うのを感じて、乱れる呼気を押し殺すように唇を噛む。
 神父はそれを見つめると、流れた涙の軌跡を掬い上げるように。涙を流したことを思い知らせるように舌を這わせ、
「…随分と良い声で啼く…。思った以上に楽しめそうだ」
 苦悶の表情で喘ぐランサーの耳許から背筋の奥へ、湿り気を含んだ低い声を響かせた。



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