花火まであと少し-02
 夕暮れの橙が少しずつ、西の空に吸い込まれていく。雲の少ない浅い色の夜空に、細い月が所在無さげに浮かんでいた。
 熱気が夜風に払われていく中、互いの輪郭を浮き立たせ、縁取る灯りが人工のものに取って代わり始める。
 歩く速度の変化は無いものの、彼に置いてきぼりを食らったような気分になったアーチャーは、相変わらず無言なままのランサーを横目に、憮然とした表情を隠しもしないまま、同じく無言でその隣を歩いていた。
 道筋を辿る歩みには淀みは無く、住宅街を抜け、彼らの足は新都と深山町を繋ぐ大橋に差し掛かる。その道程でもいつに無くすれ違う人の数が多くて、アーチャーは僅かに首を傾げた。
 ふと橋下を見下ろせば、海浜公園には人だかりが出来ている。ちらほらと夜店も出ていて、ああ、と思わず声が漏れた。
「……夏祭りか…、いや……」
 人だかりが川縁に陣取る姿が幾つも見えて、前方に視線を戻せば、歩道の欄干に肘をついている人の姿が目立つ。合点が行ったとばかり頷いた瞬間、ひゅう、と空を裂いて、真上を目指す灯が視界を掠めた。
 すぐ後に、晴れた夜空に大輪の花がひとつ。
 僅かに遅れて届く、火薬が爆ぜる音とほぼ同時に、わっと歓声が上がった。
「あーあ、ちと間に合わなかったかぁ……。もー少しだったんだが」
 周囲の賑わいに紛れてしまう程度の声が、残念、と呟く。あのジェスチャー以来無言を通していたランサーが、こちらを見てばつが悪そうな笑みを浮かべていた。
 どう言う事だ、と首を傾いで尋ね、距離を削る。人だかりの出来た橋上、再度上がる花火の音とそれに続く歓声に掻き消されて、隣に居るのに彼の声は届かず、唇が何か言葉を形作っていることしか判らない。
 聞こえない、と眉を僅かに寄せて頭を振ると、ランサーは片手を口に寄せてもう一度、言葉をなぞった。
「……からー、…前と、…、………たかったん、……」
 途切れ途切れに聞こえてくる、おそらく二度目に繰り返された声をもっとしっかり聞きとろうと、
アーチャーは彼の口許に耳を寄せる。殆ど内緒話をするような近さになったことを、頬に触れる彼の手の感触に思い知り、微かな緊張を覚えて膚を硬くする。
 その反応を知ってか知らずか、寄せられた唇から零れる呼気に、微かな笑みの気配が混ざった。

「いっとう良い場所で、花火、見たかったんだよ。お前と」

 喧騒よりも、花火が爆ぜ咲く音よりも近く、呼気の感触ごと届けられた言葉に灰の双眸を瞠る。
 言葉を忘れたかのように、薄く開いたままの唇を引き結ぶこともしないで暫しそのまま、アーチャーは呆けたようにランサーを見つめていた。
 悪戯を成功させたような、そして多分に照れの混ざったランサーの笑みが、アーチャーが呆けている間に少しずつ決まり悪いものに変わって、大人しくなる。最後には引きあがった口角が下がって、何だよ、と悪態交じりの声までついた。花火の音と喧騒に紛れて、唇がその形に動いた程度の、ささやかなものだったが。
 言葉なく視線を交わす最中、どん、と大きく火薬が爆ぜる音がして、思わずそちらに目を奪われる。
 返って来ない問答よりもそちらを優先させたのか、再度視線を戻した時には、緋色の双眸は夜空を向いていて、アーチャーは密やかに安堵の息を漏らした。
「ランサー」
 出来るだけ、平静を装うせいで声から抑揚が削げる。
「ん?」
「……その、『いっとう良い場所』、と言うのは?」
 歓声と花火の音の合間を縫って問いかけると、視線を花火から戻したランサーが、また歯を見せて笑った。秘密を明け渡す直前のような子供じみたそれに、アーチャーの頬もつられたように緩む。
 笑みを浮かべた後、そこに滲む感情を隠すように、癖に似た所作で一度瞼を伏せて俯いてから、チラ、と横目で周囲を窺うようにした後、
「案内を、してくれるかね」
 そう告げて、少しの逡巡を振り払うようにして右の手を差し出す。
 ランサーの、笑みに撓んでいた緋色が驚きに丸くなって、控えめに差し出した右手とアーチャーの表情の間を往復した。
 その表情の変化に誘われた笑いを今度は隠すことなく、アーチャーは肩を揺らす。差し出したままの手指に、温かな手が重なったのは、その直ぐ後のことだった。
「……そうだな、はぐれられても困るからな」
 うん、と自分を納得させるように頷いたランサーの指が、きゅ、と一度アーチャーの手を握り返す。
 行こう、と促すようにその手を軽く引くと、ごく浅い頷きの後、密度を増し始めた人ごみを縫うように歩き出した。

 色とりどりの花が夜空に散る中、人々の熱気と潮の匂いを乗せた風に、微かに体温を上げた頬を撫でられて、アーチャーはくすぐったそうに片目を眇める。
 直ぐ前を歩くランサーに手を引かれながら、見慣れてしまった男の見慣れない格好に受けた衝撃を、どうやって言葉にしようかだとか、案内された『いっとう良い場所』にどんな感想を用意しようだとか、柄にも無く思考を遊ばせては、指先で軽く、繋いだ手の甲の皮膚を擽る。
 くすぐってぇだろ、と振り返る顔が抗議をする癖に笑んでいて、とぼけるように肩をすくめて見せた。
 仕返しをもらって笑い合いながら、人ごみの途絶えない道を歩く。
 先ほど見えた彼の一連の表情の移ろいが、自分たちのすぐそばで咲くものに似ている気がして、そんな連想に至った自分に思わず、アーチャーは灰の双眸を撓ませた。



End



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