花火まであと少し-01
「アーチャー、居るかー?」
 家主の居ない遠坂邸の中、掃除を終えて一息ついて、ソファの背凭れに身を預けようとした瞬間。跳んできたチャイム三連打と己を呼ぶ声に、アーチャーは目を瞠った。
 居留守を決め込めば更にでかい声を張り上げそうな声の主を確かめようと、窓に向かって歩を進める。尤も、誰であるかは即座に理解は出来ていたし、居留守を決め込むのも無理な話だが。
 いっそ塩でも撒いてやろうかと言う勢いで窓を開くと、声の主───ランサーの意外な姿に、彼は別の意味で目を瞠る羽目になった。
「………ランサー……?」
「おー、やっぱ居やがったな。暇なら降りて来いよ、出掛けようぜー」
 たっぷり五秒は固まって、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべている、私服のバリエーションを更に拡大した男の姿に思わず、呆然と名をなぞる。
 いや出掛けるのは構わないんだが。なんで浴衣なんぞに身を包んでいるのか君は。
 この距離だと怒鳴りあう格好になりかねないので、出掛かった言葉を呑み、ひとまず頷いて窓を閉める。戸締りも確認して階下へ向かう足を急かしながら、いつも変わらない格好の自分の姿に僅かに、眉を下げて息をついた。

 玄関の扉を開いて姿を現すまで、ランサーはその場で大人しく佇んでいた。夜目の利く視界の中、心なしか浮かれているようにも見える相手の姿に、怪訝そうに眉が寄る。
 物問いたげな表情を見て、ランサーが片方の眉を上げて首を傾ぐ。なんだよ、とくっついてきそうな素振りを見て扉を施錠して、背の低い玄関扉を挟んで向かい合う。
 扉を越えずにまじまじと姿を眺めるアーチャーの反応に、ランサーの片眉がますます上がった。
「……なんだよ、言いてぇことあるンなら言えっつの」
「いや、……何と言うか…」
「ん?」
 目を泳がせながら、驚いた、と告げて口ごもる。さっきまで用意していた突込みの台詞がとっさに出てこない自分に微妙な顔つきになって、アーチャーはそれを繕うように口元を隠した。
 そんな反応を見て何を言うでもなく、ただ言葉を待つランサーの様子に、居た堪れなさが募ってか、アーチャーの表情が僅かに険しくなる。半ば八つ当たりじみた目つきに、ランサーが僅かに顎を引いた。
「……」
「………」
「あのよー…」
「何だね」
 沈黙を破る第一声は彼から。それでようやく、険のある表情を動かしてアーチャーは口を開く。
「驚いた、だけかよ。見蕩れたとかカッコイイとかステキーとか、ねぇの?」
 まったく、とでも言いたげな顔つきで息をついてから、緋の双眸を撓ませて軽口を叩く彼の物言いは、相変わらず過ぎるほど相変わらずで、思わず目許に込めた力が抜ける。
 浮きかかる青筋を深い溜息と、こめかみに添えた指先で抑えながら、頭を振って平静を取り戻すアーチャーの様子に、ランサーはそれ以上言葉を重ねず、浮かべていた笑みを少し大人しくしてまた、彼からの言葉を待った。
「出かけるって、一体何処に行こうと言うんだ、君は。……と言うか、その浴衣はどうした」
「どうしたって、バイト代で買ったんだよ」
「だから何処からそういう情報を、だな」
「人と関わる環境に身を置いてりゃ、自然とそういう話題も入ってくるもんだろ。いーからホラ、行こうぜアーチャー」
 順番を間違えて届いた突っ込みに、ふ、と笑みを爆ぜさせるランサー。何が可笑しいとばかりに眉間に皺を刻むアーチャーを横目、いいだろー、と満足げに笑う表情はいっそ、屈託がない。
 いつもの耳飾はそのままだったが、髪留めの金環が細い組紐になっていて、長めに残したそれが肩から髪と共に前に流れている。クラシカルな細縞模様に染められた、藍の浴衣の上に踊る鮮やかな青色に少しの間視線をやって、結局、何処に、との問いへの答えを返さないままのランサーに急かされる形で、アーチャーは玄関の門扉を開いた。

 夕暮れ時の住宅街は時間帯に相応しくなく人通りも多く賑やかで、浮き足立つ人々の足取りは、真夏独特の熱気に少し中てられ気味にさえ映る。
 家族連れだろうか、子供たちの歓声に目を奪われて、そういえば夏休みか、などと誰に聞かせるでもなくアーチャーは呟いた。
「何だその、夏休みって」
 途端に入る横槍に舌打ちすると、視界の端でいい年の男が拗ねている。
「通り一遍の解説をして、へーそー、で終わられてはたまらんからな、知りたければ凛や小僧にでも訊くと良い」
「お前ね、そういうのをグータラッて言うんだぞ」
「言わない。……で、何処に行こうというんだ、君は」
 からころと桐の下駄の歯を鳴らしながら歩くランサーを横目、答えをもらいそびれた問いを再度向けるべく、アーチャーは口を開く。
 問いかけの声にだいぶ遅れて傍らの男を見遣ったランサーは、に、と歯を見せて笑ってから口を閉じ、その唇の上に立てた人差し指を置いた。
 内緒、のジェスチャーにますます怪訝そうになったアーチャーを面白がるように、浮かべていた笑みを深めて、ランサーは前を向いて歩を進める。
 結局いいようにはぐらかされてしまったのが少しばかり癪だったのか、彼の視界の端に引っかかる隣で、はぁ、とわざとらしい溜息をつき、肩まで聳やかしてから、アーチャーも唇を引き結んだ。



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