愛しき日々-08
「大丈夫かなぁ……」
 小さくなったランサーが消耗から意識を途切れさせた頃、騒動の発端となった小さな英雄王は、冬木教会の居住区に宛がわれた自室で溜息をついていた。
 幸か不幸か自分たちの主である少女は、改築が終わった後もたびたび衛宮邸に身を寄せているため、今日は教会には居ない。微弱なパスで繋がっているランサーの異常には当然気付いているだろうが、姿が無いのだからその場で問いただされることもなかった。
 そういった意味では安心だったし、だからこそランサーさんに悪戯を仕掛けられたわけだし、とギルガメッシュは一人ごちる。
「……とは言え、一人にしたのはまずかったかも」
 ただでさえ不安定な状態だし、と呟いて少年は溜息を重ねる。
 考えてみれば妙なのだ。
 本来ならばあの『薬』の効果によって、記憶は兎も角思考や知識も、年齢相応になっていなければいけなかったはずだ。
 それが彼の場合、器である身体だけが若返り、器の中身である精神───魂は元の姿のままになっている。
 時間が経てば薬効が切れて姿が元に戻るとしても、その間中、幼く脆い、不安定な器で本来の完全な形の魂を抱え続けるのは、ランサーの心身にとって少なくない負担になっているはずだった。
 救いがあるとすれば、現界や実体の維持に必要な消費魔力が、弱体化した器に相応した量に抑えられていること。
「伝えておくべきだった…、かな」
 うっかりしてたなぁ、と呟く声は対照的にひどく暢気なまま、英雄王は騒動の発端になった薬の瓶を指先で弾いた。



 目を覚ますと、白い天井が最初に目に入った。ぶら下がってる灯りの種類が違うから、多分教会じゃないはずだ。
 ギルガメッシュから借りてる部屋の天井はもう少し低いし、連れてこられた嬢ちゃんの家の居間にしては、灯りの色が柔らかいような。
 冷やしていたもののやっぱり足りないらしく、目もショボついていてその奥が痛んだ。おかげでまだ頭も重い。
 いつもなら覚醒までそう時間がかからないはずなのに、相当消耗しているのか、ぼんやりしていて状況把握も遅れがちだ。
 だからなのか、背中を受け止めているのがソファの座面ではなくベッドだということに気付いたのは、目を閉じたアーチャーの顔が、寝返りを打った瞬間に目の前に飛び込んできてからだった。
 薄い肌掛けの上から、アーチャーの大きな掌が俺の身体に乗せられている。
 客間らしい一室に設えられたベッドはやたらでかくて、隣でコイツが横になっててもあまり窮屈な感じはしなかった。
「……アーチャー…」
 薄い瞼と一緒に、色素の抜けた白の睫が小さく揺れる。うん、と気怠げに息を抜く声が、なんだかいつものこいつと随分違っていて新鮮だ。
 もう一度名前を呼びながら、手を伸ばして硬い髪を撫でる。頬を撫でようと思って手を下ろしかけたが、まだ腫れの引いてない口元を見つけて行き場をなくしてしまった。
「アーチャー」
 手を引っ込めようとしながら、三度目の呼びかけを口にする。
 それで目が醒めたのか、瞼がゆっくりと持ち上がって、眠たげな灰色の双眸がこっちを向いた。と、引っ込めそびれた手をいきなり掴み取られて、思わずびくりと肩が跳ねる。
「クー……」
 寝ぼけているような顔のアーチャーは、俺の身体の上に乗せていた手でしっかりと、行き場を無くしかかった右手を捉えていた。
 包帯の感触を確かめるみたいにゆっくりと、慎重に指先が手の甲や掌を辿る。薄いガーゼ越しに触れる指が、時々膚を掠めるたびにこそばゆいようなむずがゆい感触を覚えて、また肩が跳ねた。
 何でこんな時にそんな顔して、よりにもよってそっちの名前で呼ぶんだよ。
「……クー…」
 何だよ、と返事をしようとした声が、いつの間にかひどく渇いていた咽喉に引っかかって巧く声にならない。 ごそ、とアーチャーが身じろいで、身体の下敷きにしていた手を伸ばしてくる。身じろぐついでに元々あまり無かった距離を更に削られて、いつの間にかすっぽりと抱え込まれてしまった。
 だから、なんで。
「おい、…寝ぼけてんのか………?」
 答えの代わりに、黙ってアーチャーは首を横に振った。
 懐くようなしぐさにも似ていて、頬や耳元に当たる髪の感触がくすぐったい。
 耳元で、寝起きらしい掠れた声が、寝ぼけてはいない、と告げてくる。
「君が、ちゃんとここにいたから」
 安心した、と呟く声が、まだ何となく眠そうだ。あったかいしそれが心地いいし、目の奥の痛みは光を嫌うしで、俺もまた瞼が重たくなる。
「……変なヤツ」
 目を閉じると、あいつの体温と肌の匂いに埋もれているような気がして、それが酷く心地いい。体格差がそう無い相手だっただけに、味わったことの無い感覚だと思った。
「別に、どっか行ったりしねぇって…」
 これだけ世話になって、黙って居なくなるほど不義理なヤツじゃあ無いつもりなんだが。
「……そうだな。姿は変わっているが、君は君だ」
 けれど、と続く声が千切れて、俺を抱きこんだアーチャーが身じろぐ。続きをせがもうとして視線を上げると、また焦点が合わないぐらいの近距離にある、アーチャーの顔が目に入った。
 さっきの続きみたいに、けれどさっきより遠慮がちに、額が触れ合う。
「…『けれど』、何?」
 怒らないか? と機嫌を伺うみたいな問い方が、やっぱり子供にするようなそれでこそばゆいが、まあこの姿じゃ無理もない、かもしれない。その仕方なさも含めて、それからどんな言葉が飛んできてもいいようにゆっくり息を吸って、吐いてから、俺は小さく頷いて見せた。
 困ったような笑みを浮かべたアーチャーが、ごく自然な仕草でちょん、と鼻の先にキスを落とす。それからまた額を、鼻先を触れ合わせる距離で、口を開いた。
「けれど、小さなクーがこんなに可愛らしいとは、思わなかった。……伝承で語られる言葉がいかに真実から遠いか、君には思い知らされてばかりだな」
 可愛い、と続けて酷く嬉しそうに笑うアーチャーの笑顔をまともに見てしまって、俺はさっきの問いに頷いたことを少しだけ後悔した。



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