Cradle hollow-01
「馬鹿、だよなぁ」
 何度目かの『四日目』の夜が終わる。
 塒に戻ることが出来ないまま、かと言って街の何処かで起こる異変に手を出すこともしないまま、どこかで起こる『巻き戻り』の瞬間を待つ。
 ここ暫くはずっと、そんな調子だった。

 小僧──正確には、■■■なんだろうが、便宜上こう呼ぶ。
 あいつが何かしらの断片を掴みかけているのは、判った。
 それが、俺がこの地に降りて最初に得た主人と、そいつと共有した始まりの一週間の記憶を炙るような物である事も。
 聖杯戦争の拘束を身体の奥で感じることは有っても、積極的に仕掛けて暴れまわる時間も、……そして不本意だが、余力も、今の俺には無い。
 言峰が死んで尚、此方に供給される魔力。
 供給量は───それこそ、現界と実体の維持。せいぜい宝具一投分、と言ったところだった。
 それを誰かに言うことは無い。自分で嫌になるほど自覚できているそれを己の声で音に、形にした瞬間、どこかで天秤の傾きが狂うような気さえ、していたから。
 『四日目』の夜はいつも、特にパスが希薄になる。
 そして、そこから流れ込む苦痛や消耗に、どういう訳か俺の身体は毎度毎度確り、反応してしまっているのだ。
 時系列は関係無く、ただ、鮮やかな痛みや苦痛があればあるほど、このタイミングで確実に蝕まれる。
 それぐらいしか判らない……否、判ろうとも、思わなかった。

「───ッ、…は……」
 じくり、と脇腹が痛んだ。
 内から食い破られるような、そんな感触。
 薄らと滲む冷や汗が夜風に冷やされて皮膚温を下げるくせに、その奥の血液ばかりが、熱い。
 痛みと熱の、零れ落ちて行く錯覚を強く刻む脇腹を庇うようにして背を丸め、歯噛みする。
 これは俺の痛みではない。
 けれど感じることが出来る痛みはそこに在り、エーテルで編んだこの身を苛む。
 霊体になって、その感覚から逃げれば済む…と言う理屈は十分に理解していた、けれど。
 けれど、……此処で得られる痛みからは、決して逃げまいと。
 いつからか、実体を解くよりも先に、そんな馬鹿げた思考に捕らえられて行ったのだ。
「ランサー?」
 寝転がって、身体を丸めて呻く俺を呼ぶ、意外な声に目を開く。
 痛みは相変わらずだったので目を向けることまでは出来なかったが、草を踏む足が薄く瞼を開いた視界に入ったので、男が思いの外、俺の近くにいることだけは理解できた。
「……、…よぉ、アーチャー……。…どう、したよ……」
 おそらく、俺は自覚が至る以上に酷い表情をしていたのだろう、と思う。やけに慌てた動きで俺を抱き上げたアーチャーの仕草が、気配からでも判った。
 衝撃に閉じたくなる瞼を開くと、月を背にしたアーチャーは、まるで死に損ないを見つけて、しかも、それに酷く衝撃を受けたような顔をしていた。
「………大丈夫…では、ないだろうな、ランサー」
「…見ての通り、ッて奴だ。……解れ、馬鹿……」
 霞む視界の中で、馬鹿よばわりされたことにか、それとも消耗しきった俺の声の調子を聞いてか、ますますアーチャーの顔が険しくなる。
 自分が痛がるような顔をして眉根を寄せて、本当に…なんて顔だ。
「……、ほん、と……馬鹿、だな…」
 なんて顔してやがる。
 そう言いたくて開いた口からは、震える吐息しか出てこなかった。
「……馬鹿は、…君、だろう……」
 当事者の俺よりも、よっぽど痛そうな顔をして。
 肩口に顔を埋めて、血を吐くような呟きを寄越すアーチャーの背に、腕を伸ばした。
 ぽんぽん、と数度、子供をいなすように背を叩いてやろうとした腕から、感覚が乖離していく。
 結局俺の手は、あいつの背を叩けもせず、ただ、ぺた、と置かれる程度で精一杯、だった。
「────、……、………!! ………」
 『巻き戻り』が始まる。
 勝手に注がれて身体を満たす痛覚に、それ以外の感覚を分断されていきながら。
 朧に成って行く視界の中で、何か、懸命に俺に訴えようとするアーチャーの顔すら、歪んで、霞んで行った。

 再び目を開いたらこの戦争からも解放され、記憶を土産に持ち帰ることもなく、また、俺は己の座───あの、ヒースの野に還るのだろうか。
 たゆたう意識の中、ふと過ぎった疑念に思わず苦笑する。

 ───…いや、まだその時ではない。俺はまだ、決着をつけていない。


 何の?

 知るかよ。


けれど、満ちたら、行かなくては。

駆け足で尚、間に合えずにいた己に
口に出さずに仕舞って置いた悔いに

例えこれが仮初の、嘘ばかりが廻る時間でも。
それを越える機会が、ようやく巡って来たのだから。


だからこそ、俺は───



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