Affection-side story [峡谷の攻防]
「が……ッ、ぁ………!」
 悲鳴が聞こえた。
 ヒーリング中で目を閉じていたから、いつもより耳が良くなっていた……ような気がする。だから捉えることの出来た距離からの、悲鳴。
 普段聞こえないかもしれない声が聞こえてきて、それがよりにもよって切迫した悲鳴だったってことは、要するに『間に合わない』んだ。
 サルタバルタに比べて、タロンギは草が少ない。草の代わりに小石を蹴って土埃を上げて、短い足をいっぱいに伸ばして俺は走った。さっきまでの精神集中と休息のおかげで身体は軽い。魔力も満ちてる。
 でも、表情は自分でも判るぐらい悔しさで歪んでいて、眉間にいっぱい皺がたまっているのが判る。
 何度目だろう。役に立たないケアルIIのスクロール片手に、こうやって息を切らせて走るのは。
 数えるのも莫迦らしくなって、今はとにかく走る。走る。走る。

「こっち!」
「たす、け…、………、…」
 二手に分かれていた山道が、合流し、より急な下り坂になってこっちに伸びて来るその交差の天辺に、彼はいた。息も絶え絶えに走ってくるから、助けを求める声も殆ど、乱れた呼気に掻き消されて音になっていない。
 出血が酷くてもう倒れる寸前だけど、まだ生きてる。
 良かった、間に合ったんだ。
 たまにはこういうこともあるんだ、って、ためてた眉間の皺が知らないうちに解けていく。
 いつもこっそり心の中で呪っているアルタナ様に、俺は久々に感謝した。
 息を整えるのも惜しいけど、急停止してすぐにケアルの詠唱を始める。文節の短いスペルでも、まだ未熟な腕前だとすぐに集中が途切れてしまうのが、本当にもどかしい。
 効果範囲ギリギリのラインを見極めて、最後の一節を紡いだ瞬間、唐突に魔力が霧散する。

 なんで。

 ただの音になってしまったスペルの一節は、あっという間に強い風に攫われる。
 土埃が目に入って、なぜか鼻の頭が痛くなった。

 目の前でスローモーションみたいに、助けを求めていた……多分シーフだろう軽装の青年の膝が折れて、地面に触れる。
 ざ、と土を擦る音の後、膝で立つみたいに低い位置で直立した身体が揺れて、そんな軽い衝撃だけでだらりと腕が垂れ下がった。
 そのまま、最初に支えを無くすようにして傾いたのは首。頷く形でうつむいた顔を土埃と血液で濡れて固まった、真ん中で分けた金髪が綺麗に隠して、上体が傾く。
 どう、と重い音と一緒に土埃が上がって、さっきまで立っていたはずの身体が地面に横たわっていた。同時に握っていた短剣が手を離れて、からん、と乾いた音を立てる。
 坂の上に突っ伏した身体は幾つも石を下敷きにしていて、普段ならきっとすごく痛い。薄い造りの革鎧姿の彼なら尚更つらいだろうに、多分それさえ判らないような痛みと苦しさで、もう動けないんだと判ってしまう。 
 治癒魔法を受け容れられるほど、身体の活力が残っていないからだ。
 通常、治癒の魔法は体内の自然治癒力や活力を増幅させることで回復を促し、組織を驚異的な速度で再生させる。その中にはもちろん増血作用も含まれていて、失血や貧血なんかにも素早く対応できるよう、研究がなされている。
 けれど、身体が殆ど死に体に近い───戦闘不能、と言う呼び方で通っている状態にまで陥ると、魔法による活力増幅の負荷に身体が耐えられないため、そして、そもそも増幅できるだけの活力が残っていないため、スペルが通らなくなってしまう。
 こうなってしまうともう、蘇生魔法、と言う位置づけのレイズのスペルじゃないと起き上がれない。
 習得にはある程度の修練が必要で、それはずっと後の話だ。II系統のケアルさえ覚えられない俺からしたら、とても遠い先。

 ああ、やっぱりアナタになんか感謝するんじゃなかった、女神様。
 痛いぐらいに握り込んで、掌に爪を食い込ませていた手が震えた。
 直後、俺の呪いを代弁するような、ヤグードの声に我に帰る。
 標的を倒し終えた連中が、今度は呆然と立ち尽くしていた俺に狙いを定めたらしく、こっちに向かってきた。
 彼を追ってきていたらしいヤグードの頭数は全部で三匹。術者らしく仮面を被ったのが二匹と、重そうな数珠を首から提げた、素手の奴が一匹だ。
 小走りに近付いてきて、術者が少し離れた位置で止まる。それぞれが詠唱を始めるのとほぼ同時に、素手のヤグードの拳が飛んできた。
「く……!!」
 態勢が崩れるほどの威力は無いにしても、後衛にとってはそれなりの痛手だ。
「敵討ちってワケでも、ないけど」
 どちらかと言えば八つ当たりだ。色んなものへの。
 使い古して傷の目立つ盾と、ハンマーを腰から抜いて構える。慣れた調子で弱体魔法を目の前のヤグードへ放つ。レジストする間もなくその場で動けなくなる様子に知らず、口の端っこがぐっと引きあがる。
 後方から飛んでくる呪文は粗方レジスト出来た。精霊魔法のダメージもそんなにきつくはない。

「ころしてやる」

 そうしなければ俺が殺される。さっきの見知らぬ彼のように。
 覚悟のように紡いだ言葉に、気持ちが昂揚する。皮膚の内側がざわついて、吐き気がするぐらい物騒な衝動が湧き上がる。
 俺はぐっと口を引き結んで、横なぎの初撃をヤグードの硬い脛にお見舞いした。
 瞬きをするのも惜しい。
 すぐあとにヤグードの硬い拳に殴られても、それを防ごうと前に出した盾が厭な音を立てても、俺は意地でも、後ずさったりなんかしないと決めた。



 次々降りかかる弱体魔法で視界を遮られ、身体を麻痺させられ、体力を削られる。一匹一匹は大したことないけど、前衛後衛そろった形で、しかも数で押されると不利だ。
 そう辛くない筈の拳が重たいもののように感じられて、注意深くタイミングを見計らいながら、最後のケアルのスペルを紡ぐ。焼け石に水程度の回復力でも、この場ではないよりマシだから。
 けれど、体力も、槌を振るう気力も、目の前の黒い羽を生やした獣人たちを殲滅させるより先に尽きてしまうだろうということは、火を見るより明らかだった。
 女神様へ奇跡を祈る力はもう残っていない。残っていても、いつも毒づいてる俺なんかに都合よく縋られたって、正直、女神様だって困るだろう。

 ───やっぱり、俺じゃダメなのか?

 声を上げて泣きたくなった。
 視界を塞ぐ精霊魔法と、流した血と、悔し涙で目の前がひどく歪む。
 けれど、滲む涙を零すのはもっと悔しくて、握力の弱った手に無理矢理力を込める。爪が柄に食い込もうが、このハンマーが手から離れなければそれでいい。今は。
 皹の入った丸盾で初撃を受け流して、大きく振り被ったハンマーで膝関節を打ち付ける。ギャッ、と低い悲鳴が上がって、ずっと正面で殴り合っていたヤグードが態勢を崩した。もう少しだ。
 俺はもう一度槌を振り被る。その瞬間だった。

「おいボーズ、大丈夫か?!」

 チョコボが急停止する慌しい足音と、視界のだいぶ上から降ってくる声。
 誰かが通りかかってくれたらしい。
 視線を外せる余裕もないし、まだ目尻に一杯涙がたまってたから、俺はただ、声も出さないで頷くことしか出来なかった。
 幸い、チュニックのフードのおかげで表情は見られない……と、思う。
 直後に降って来るケアルの温かな、確実に傷を塞いで行く感覚にまた、鼻の奥がつんとした。
 気がつけば、後ろで俺に魔法を浴びせていた後衛のヤグードたちは俺ではなく、さっきケアルをくれただろう青年を相手にしている。
 その人から何か言われてたみたいだけど、タイミング良く(悪く?)繰り出された拳にフード越しの耳を殴られて、聞き取れなかった。
 一対一なら、ここまで追い詰めることが出来たなら、まだ勝機はある。
 諦めそうになった心も全部振り落とす勢いで、俺は夢中になってハンマーを振った。



「やー、ありがとうでっかい人!助かったよー!」
 仰向けの視界の中、俺を見下ろして溜息をつくエルヴァーンの彼に向かって、決壊寸前の涙をごまかし終わった俺は、大袈裟なぐらいの笑顔を浮かべた。
 泣き出しそうだった顔は、血と泥にまみれててきっと判らないだろう。判らないで欲しい。
 俺の反応に呆れたような顔つきで、溜息をついて…お説教までつけてくれたから、きっと大丈夫。
 ヒュームの青年は、俺がヤグードと睨み合って早々にホームポイントへの強制転送を選んだらしく、彼の口からは話題には上らなかった。
 俺を助けてくれたエルヴァーンの彼は、俺が無茶をした結果がこれだと思っているようだ。

 それならそれでいいかな。無茶をしたことにはかわりないし。
 それに、ウィンダスに来てから、こんなに誰かと話をしてるのは初めてのような気がする。
 だからだろうか。自分の名前を、聞かれもしないのにしゃべってしまったのは。
 まだ年若そうな(とは言え、今のジョブだとレベルは彼の方が上っぽいけど)、真っ直ぐな性根をあらわすような言葉遣いの彼は、律儀に名を名乗り返してくれた。
 たったそれだけのことなのに、ささくれて、物騒な衝動に塗り潰されていた気持ちが軽くなる。
 ああよかった。もう笑っていられる。
 心の中に蟠っていた、雷雲のような暗い衝動はすっかり、どこかへ行ってしまった。



End



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