さくらいろ
 ざ、と音が鳴る。
 風が大きく桜の枝を揺らし、花霞を散らす。
 丸く薄く色づいた桜のはなびらが、視界をかすめて遠くへ攫われていった。
 陽光に薄められた青い空の下。
 どこまでもにせものの、骨、血液、血管、神経、筋肉、内臓、粘膜、皮膚。
 本物の人間の身体と寸分違わぬ、けれどどうしようもなく偽物の『容れ物』を持つ二人の男は、肩を並べて桜の花々を見上げていた。

 折りしも満開。
 少しばかり強い風に散らされるばかりの、淡い、雲のような色をつけた木々の中、夜明け前の深い青を切り取って来たような髪色の男が、笑う。
 命そのものを切り出した緋色の目が、それにあわせて撓む。
 かつての英雄は桜の花に視線を固定し、横顔を向けたままで、らしくなく溜息をついた。
「………俺も、お前もさ」
「ん?」
「随分、色んなもんを置いていって、死んだだろ」
 頷ける事柄な癖に、立ち位置の違いに拘って、私と君を一緒にするな、と雨を重たく含んだ空のような鉛の色をした目を彷徨わせた反英雄は、溜息をつく。
 風に流される、硬く乾いた感触の白灰の髪は、陽光を背負い、地から遠ざける雲の色に少し似ている。
 まあいいから聞けよ、なんて取り成す声に、彷徨わせた視線を結局、彼に戻すのだけれど。
「……まあ、立場の違いは兎も角としても。そこは否定出来んが」
 鉛色が桜に向かう緋色を見る。
 その色がこちらを向かないことが珍しいからなのか、それをもどかしく思うのか、酷く曖昧な調子
で。
 軽い皮肉を混ぜても突っかかってこない様子を暫く眺めてはいたが、結局彼も同じように、
 かつての琥珀を深く深く醒ました、鉛色の眸を淡い花雪に向かわせる。
 少しだけ強くなる風に、言葉を続きを口にしかかったお互いは、結局黙ってそれを遣り過ごした。


「何だかんだあって、こんな形でこっちに来ちまった訳だけど」
 風が止んで静けさが蘇り、先に口を開いたのは蒼穹。
 緋色はまだ桜を見る。鉛色もまた、桜に視線を向かわせたまま。
「置いていくだけ行った報いかね。今じゃ俺らが、置いてかれっ放しじゃねぇ? 気がついたら」
 口にしている言葉と、それを載せた口調の乖離の具合に、髪と同じように沈んだ白い眉を寄せて口を引き結ぶ。
 事実をそのまま口にしているとは言え、あまりの感傷の強さに当てられたような顔つきに、溜息まで添えて。

 何か悪いものでも食べたのか。またバイトをクビにでもなったのか。ナンパが巧く行かないとでも。
 文句は咽喉元で引っ掛かって出てこない。

 第一、君は過去など目に入れることすら、しないのではないのか。

 どれから言えば良いのか判らなくなって、頑なに横顔だけを向けて口許を覆ってから、鉛色の双眸まで伏せる。
 そんな心境などお構いなしのランサーの軽口は、桜を見ながらまだ続く。
「命は巡るものだ、何て自分が口にしてから、じゃあ巡らない俺らって何なんだ、って思っちまって
さ」
「……、…」
「咲いて、散ってく花なんか、巡りの判りやすい形だろ。小僧や嬢ちゃんたちにしたってそうだ」
「………………」
 知っている。知っているよ、クー・フーリン。
 君だってとっくに知っているだろう。巡る命ですら無くなった、私たちのことぐらい。

 口に出来無いままの言葉を延々と呑み込んで、胃の腑の底に押し込んで、それをいっそ潰してしまうように、アーチャーは何度目かの溜息をつく。
 今更どうしてそんなことを言うんだ、と言いたげな顔つきを作って、頑なにそれを崩さないまま。
 そうして、いつものように我慢強く重ねた沈黙を破るのも、やはり彼。

「……、…なんか、言えよ……」
「すまん、あまりに可愛らしい感傷が垣間見えて、目眩が」
「…………」
 口の達者な彼が軽口も重ねずに黙りこくると言うことは、要するに、痛いところを突かれたと言う反応でもある。
 感傷的になっている自覚があるらしいことが判れば、まだ救いがあるとばかり、アーチャーはようやく溜息よりも緩やかに吐息する。
 そんな風に──救いだなんて思い至るほどの動揺を自覚をするのは、もう少し後の事だけれど。
「なら訊くが」
「おう」
 だんまりついでに不貞腐れた表情をちらと鉛の双眸に映し、今度はアーチャー言葉を投げかける。
「……置いていかれて、…寂しい、のか?」
 色々冗長なほどに用意した言葉は、自分が先に押し潰してしまっていたから、結局、痞えがちな声と一緒に出てきたのは、酷く真っ直ぐな問い掛けだけ。
 よせばいいのに柔らかな桜から視線を切って、鮮烈な色ばかりを纏う男を見詰めて問う。
 花の色に合わせたような感傷を素直に口にする男が、どんな顔をしているのか確かめたがって。
「…、……そうだな」
 あっさりと感傷を肯定するのなら、端を発した寂寥でさえ、恥とも思わず肯定する。
 何処までも正直で明快な返答を裏切らず、答えを漏らしたランサーの顔には、照れすら滲ませた笑顔が浮かぶ。
「置いて行っても、置いて行かれても、寂しいもんだな。……なんて、改めて口にすることでも、ねぇンだろうけどさ」
 死んでから気付くなんてな、と呟く声は、笑顔を困らせてから付け足された。
 そんな時に限って、緋色の双眸が鉛を絡め取るように向けられるのだから、本当に
「…勝手な男だ…」
 鮮やかな色への感嘆と、物言いたげな視線への反駁と、巡る事の出来なくなったその後に、『知ってしまった』遣る瀬無さと。
 容易に言葉に出来無はしない、様々な感情のうねりめいたものを詰め込んで、溜息と共に所感を述べる。
「今更だろ。……第一、お前が言うなよな」
 置いてったくせに。ついでに今だって、色々ウダウダ悩んでるくせによ。
 悪態をつく声には頑として頷かず、アーチャーは桜の木ではなく、表情をくるくると変えるランサーを見詰めていた。
 意図を告げずに向ける視線に、彼が痺れを切らすのを待つように。


 満開の桜の下。
 ふたりの人ならざるものが、肩を並べて佇んでいる。
 どちらも持ちえない柔らかな色にふと誘われた感傷は、憧憬にも似ていた。



End



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