Shade
「ランサー」

 呼ばれる声に、目を向けた。
 視線の先には、緩い笑みを向けた男がいる。
 部屋を覆う分厚いカーテンは、ほんの申し訳程度に外界の光を纏わせている。
 コンクリートの壁が伝える温度も湿度も、酷くその色に似て無機質だ。
 目の前に座る男によく似た、小さな部屋。

「おいで」

 男の声がまた聞こえる。
 両頬に伸ばされた腕は冷たく、指先は酷く荒れていた。
 感触を拾うように目を閉じる。
 そこには何の交歓も無い。触れている男も、触れられている己も。
 壊れ物を扱うように触れる指は、頬を辿り、耳へと向かう。
 耳へと到達した指が、上から下に輪郭をなぞると、終点のピアスに触れた。
 手の動きが止まったのを感じて、目を開く。
 視界を塞ぐような至近距離に、光を映さぬ瞳があった。

ぴちゃ。

 唇を、冷えた舌が撫でる。
 温度の低さに虚を衝かれてわずかに開いた唇を、塞がれた。
 歯列をなぞる舌の動きは相変わらず直線的で、性急で、ひどく息が詰まる。
 意趣返しに顔の角度を変え、喰い付くように唇を合わせて舌を吸ってやると、男が身じろいだ。

 どちらのものとも知れない唾液が、口の端から零れて皮膚を濡らす。
 無機質な室内と互いの鼓膜に、この上なく有機的な水音と息遣いが注がれていく。
 意志と無関係に体温は上昇し、拍動は速く、大きくなる。
 冷えていた男の肌にも、少しずつ熱が染み渡ってゆく。

 呼気を確保するために顔を離す。至近距離には、変わらぬ瞳。
 何も語らないその目が酷く哀れで、次は俺から手を伸ばす。
 膝を立てて、男を見下ろせる格好になってから。
 両頬を掌で包んで、瞼に唇を落とす。

 ──何も燈さぬ瞳なら、熱ぐらいは分けてやろう。

 ほんの気まぐれ。
 瞼の薄さを感じながら、物言わぬ眼球にそっと舌を這わせた。
 痛みと熱に浮かされたように小さく呻く声がもっと聞きたくなって、しっかりと抱きかかえる。
 抗うように身を硬くしていた身体から、徐々に力が抜けていく。
 その様子に、己の中の嗜虐心が唐突に鎌首をもたげた。

「なあ、オマエ──」

 いっそこのまま、喰ってしまおうか。
 暗い衝動に突き動かされて、口を開く。

 ──俺が残さず平らげてしまえば、オマエはもう渇くことも無いだろう?



End



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